Friesen (1972)の日米比較研究
何回この話を読んでも「なんだって!?」と新鮮な驚きを感じる自分用にまとめた。
Ekmanの基本感情理論における“表示規則”を実証したとされる有名な日米比較研究(Friesen, 1972)がある。今回はそのお話。
一応説明しとくと、基本感情理論は “普遍的な6種類くらいの感情表情が存在することを仮定する理論” であり、表示規則は “それらの表出を調整する文脈・文化に基づくルール” である。
さて、Friesenの日米比較研究とはどんなものか。Ekman & Friesen (1975: Unmasking The Face (English Edition)) による標準的な実験の説明(+雑な超意訳)によると
Research conducted in our laboratory played a central role in settling the dispute over whether facial expressions are universal or specific to each culture. In one experiment, stress-inducing films were shown to college students in the United States and to college students in Japan. Part of the time, each person watched the film alone and part of the time the person watched while talking about the experience with a research assistant from the person’s own culture. Measurements of the actual facial movements, [secretly] captured on videotapes, showed that when they were alone, the Japanese and Americans had virtually identical facial expressions. When in the presence of another person, however, where cultural rules about the management of facial appearance (display rules) would be applied, there was little correspondence between Japanese and American facial expressions. The Japanese masked their facial expressions of unpleasant feelings more than did the Americans. This study was particularly important in demonstrating what about facial expression is universal and what differs for each culture. The universal feature is the distinctive appearance of the face for each of the primary emotions. But people in various cultures differ in what they have been taught about managing or controlling their facial expressions of emotion.
(超意訳:表情が普遍的か文化特定的かについての議論に関して重要な実験を行った。ストレス喚起映像をUSと日本の学生に見せた。ある時は映像を一人で、またある時は各文化の研究補助者と一緒に話しながら映像を見た。こっそり撮影した表情によると、一人でいる時は日本人もアメリカ人も同じ表情を出した。しかし、誰かと一緒にいる時には、表情の操作に関する文化的規則(表示規則)が適用され、両者の表情は異なるものが見られた。日本はアメリカ人よりも不快な感情を表情 (=笑顔) で覆い隠したのである。この研究は表情の普遍性と文化特定性を実証している…以下略)
言い方や表現はその都度少し変わってくるが、Ekmanが様々な著作を通して繰り返し主張しているこの研究の骨子は以下の通りだ。
①日本人と米国人にストレスフルな映像を見せて、②一人条件だと同じ嫌悪的な表情が、権威的な他者が存在する二人条件だと日本人は不快な表情を笑顔で隠したことから、③社会的な調整が入らない一人条件では普遍的な表情が出てくるけど、二人条件で見られたような社会的な場面だと文化的調整により異なる表情が生じる≒普遍的な表情とそれを調整する表示規則がある
ということになる。
じゃあなによ?
ここまでの展開だと、「うん、おもしろいね。それがなにか?」という感じではある。しかし、Fridlundによると、「この実験及び関連知見は一度も完全かつ正確にEkmanやその同僚たちによって報告されていない」のである (Leys, 2017: The Ascent of Affect: Genealogy and Critique, Chapter 5)。
実はこの実験、二つの条件だけではなく、隠された三つ目の条件があるのだ (Fridlund, 1994: Human Facial Expression: An Evolutionary View (English Edition))。
以下に詳細を書いていこう
Phase 1: 25人ずつの日米男性学部生が20分間で4本の感情喚起映像 (posi⇒posi⇒nega⇒nega) を一人で見て、その際の皮膚電位と心拍反応を測定する。なお、このデータはFriesen (1972) の研究では使われていない
Phase 2: 全ての映像を見た後、権威としての白衣をまとった研究補助者が部屋に入ってきて、参加者と映像を見ている間の経験に関する対面での面接を一分間行った。対象となった表情データは研究補助者が「いまはどんな気持ちですか?」と聴き始めて約10-20秒間のものであった。この条件がFriesenの“最初の条件”であった
Phase 3: 研究補助者は参加者と向かい合う形で座り、その研究補助者の背後で感情喚起映像の最も不快な場面をリプレイした。リプレイしながら、研究補助者は再び「映像を見ながら今どんな気持ちになっているかを教えてください」と尋ねた。この疑問の後20-30秒間の表情がデータとして扱われた。これがFriesenによる“二つ目の条件”であった
いうまでもないが、こうなってくると各データの解釈は大きくかわってくる。
さらに各データの詳細は以下の通り。
1.Phase 1ではネガティブ感情と思しき表情が両文化でよく出ており、50人中11人はなんの表情反応もなかった
2.Phase 2では2/3の人が研究補助者とのインタビューに笑顔で対応しており、残りの人はネガティブな感情と解釈される表情が出てきていた。統計的検定では二つの文化間に有意な差はなかった
3.Phase 3では日本人の表情比率はPhase 2のときとほぼ変わらなかったのに対して、アメリカ人は笑顔が減りネガティブ感情表情が増えた
特に最後の点は、“日本人の(ネガティブ感情を隠蔽する)笑顔が増えたというより、米国人のPhase 2と比較した笑顔が減ったことによる差”、という従来の解釈とは全く異なった結論が導ける。また、そうした複数の条件があることを理解したうえで自身の意に沿った形で知見を切り抜き、複数の著書において強調し続けたEkmanの科学に対する態度にも疑問が残る。
この点に関して、Fridlund (1994) 以降、基本感情理論の痛烈な批判とともに繰り返し主張・引用されたり、「普遍性の話するなら測定してたはずの自己報告型の感情体験だしぃや!」「いや言語報告はね…感情の指標としてあんま信用ならんし」とか「一人の時にも潜在的な社会的側面があるはず」「確かに!あるね!」「ほしたら基本感情理論の想定と乖離するやんけ(普遍表情が存在しなくなる)」「ないわ!」とかなんかいろんなトピックが出てくるんで、そういう議論に興味がある人はFridlundの著作とかに目を通すと良いと思います。
とりあえず上記の研究報告について日本語化された情報がなかったんで備忘録として書いておきました。この記事を書いたことを忘れないことを願います。
ほな!