[読書感想文]測りすぎ――なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?
@ なんばいきん · Sunday, Aug 16, 2020 · 4 minute read · Update at Aug 16, 2020

測りすぎ――なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?

はじめは「心理学研究であんまり意味ない尺度つくりすぎワロタwww」みたいな話かと思って買ったんだけど、全然違った。
測りすぎ――なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?」は、警察で、教育機関で、医療業界で、非営利組織で、ビジネスで、、、様々な場面の実績測定で使われるその数的な評価、一件客観的で確実みたいですけど、ほんとですか?実際のケースを見ていこう。という話。結論もいうと、測定のコストはメリットを上回ることも大いにあるし、測定されたものは簡単に歪んでしまうよ、という感じ。

実際のケースを通して、測定が機能不全に陥る原因を洗い出し、数値測定の健全な使用方法を提供する書籍。「そうだよねそうだよね~」と、アカデミアの人(ぼくがそうだからそう思うだけで他の職種の人も多分そうなると思う)なら誰もがうなずきまくる話題であふれかえっている。

複雑な組織を把握しようとする経営陣の努力⇒報告や意思決定の手順が増える⇒多くの調整機関や会議・報告書作成が必要⇒実際の経営にコミットする時間が残らない。
なんて話題は、環境によっては涙なしにはみられないほどではないだろうか。

ハッとさせられた話

多くの測定的な説明責任を政府に求めるものが見落としているのは、大学の教育費が上がっているという非常に現実的な問題の原因が、部分的には、事務職員の数が膨らんでいるからだという点だ。この数の増加は、政府からの命令に対処するための人員だ。
ここの話題にはめっちゃハッとさせられた(他にもハッとしたところはたくさんあるけど)。もちろん、『部分的』であり他にも多くの要因があるのは間違いないが、こうした問題は「全てのことを頑張れば測定できる」という一種の神格化があるんじゃないかと思う。
例えば、いや例えばという枕言葉を置いたので完全に架空な話として理解してほしいんですけど、誰かが学問で不正をした際に、組織としては『今後そういう問題が起きないようにこれこれこうな書類を作ります』ということを宣言しなければならない。その結果、これまで不正なしにひたすら頑張ってきた人は意味不明な書類を追加で書かなければならず、本質的でないところで研究する時間がますます奪われていく。そんなの間違ってるとは思うんだけど、まぁ架空の話なんでね。

システム・構造の問題

組織の上層部で目標が設定されるとき、彼らが考えているのは被害者を20%減らすということだが、警察幹部の頭の中では「記録する犯罪件数を20%減らす」というふうに変換される
この辺なんかも大変直観的に理解できると同時に、根が深い問題だと感じる。

ぼくは(2020年8月現在の)コロナウイルスに対する社会と個人(あるいは組織の在り方)に深く関連した問題だと考えている。こんなケースを考えてみよう。とある組織で陽性患者が出た際にその組織内で「なぜ検査なんてうけたんや」という指摘が(もちろん直接本人に伝える形でないにせよ)出てこないと、果たしていえるだろうか。

『現状の感染者数を正しく測定したい社会の要請』は『仕事を止められたくない個人(あるいは組織)の動機』にたやすく屈しうるのである。これは誰がわるいとかそういう問題でなく、「だからがんばってちゃんと検査して報告するようにしよう」とかそういうお気持ちの話でもない。現実問題としてそういうシステム・構造が存在する限り、本当に社会的に要請されている「測定したいもの」を測定することができないかもしれないことを示す一例にすぎない。

うーん、難しい問題だ。とにかくこの本を通して『測定されたものの妥当性をゆがめうる要因はなにか』ということを常に考えていきたい。それは心理学においても、ビジネスでデータを活かす際にも必要という意味では、教育者・医療関係者・公務員など例に挙げられた職業以外の広い範囲も対象としうるかなり重要なエッセンスが入った本といえるだろう。しらんけど。



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