人生を変える「思いやる力」の研究
「The war for kindness」の訳本(翻訳:上原裕美子氏)を読んだ。
実は2020年には原著をすでに読んでてあまりにも感動したので、同書に関する読書感想文を書いている→(こちら)
最近は「専門書を翻訳して自身の分野を盛り上げてー」という気持ちがあったので、翻訳という仕事について真剣に情報収集をしてました。
(例えば「越前敏弥の日本人なら必ず誤訳する英文」とか「英文翻訳術」とか「出版翻訳家なんてなるんじゃなかった日記」とか…)
その結果、「大変な仕事だ…」と改めてこの仕事に敬意を表することになりました。
それ以降、本書の訳者(上原裕美子氏)を含め各書の翻訳家の名前もしっかり覚えておこうときめまんた。
話がそれましたね。
どういう内容か
本書のパンチラインは、「共感が不変的なもので『思いやりがない人はどこまでいっても思いやりがある人にはなれないんだよね』という素朴な理解は間違いであり、共感とは変化させることのできるスキルなのだ」ということである。
それは、中田敦彦氏がよくいってるような「人は何者にもでもなれる。」という話でもなく、「われわれは同じ人間であり、誰かを思いやるこころを私もあなたも持っている。それを伸ばす仕組みやきっかけがあれば、きっとあなたも今以上の思いやりを持つ、そして世界中の人が思いやりを持つことができるはずなのだ」というメッセージなのだと理解している。
だからこそ、この原書のタイトルは「War for kindness (やさしさのための闘い)」なのだと思う。著者がいうには、「「共感」や「やさしさ」という単語が甘ったれた印象を作り出し、それを真剣に口にする人に対する冷笑的な態度が広がっている状況において、その風潮に「ノー」をつきつけることこそが「War:闘い」という単語を用いた意図なのだ」ということらしい (p. 404)。こうした冷笑主義は本邦においても一定の支持を受けているように個人的に感じていて、やはりそういう風潮に対して「ノー」をつきつけることが一定の価値を持つように思う。いやまぁ冷笑主義の流行りに関してのエビデンスレベルはほぼゼロだけど。ごめん。
本書を読めば、そうした共感の綱引き構造が幾度も出てくる。よそ者を憎む差別主義者、小児病院で死と向き合う医療従事者、市民に寄り添おうとしながら身内をかばう警察官、黒人を排斥する教育者、生きた人をデジタル銃で何度も射撃する芸術作品、避けられる貧困者…などなど。さまざまな文脈で共感の功罪が語られ、Zaki目線でいえば「人を思いやることのできる社会の実現」が大きな闘いであることがわかる。
もちろんこの素晴らしい本を翻訳した仕事に関しては、最大限の賛辞を贈りたい。しかし、タイトルが「スタンフォード大学の共感の授業:人生を変える「思いやる力」の研究」という題名になってしまったのは、読者の一人としてやはり少し不満がある。もちろん、著者との質疑応答において「Warという単語はこの本にそぐわない」と編集側が考えていたことも把握できる (p. 404)。「分断を解消したい内容のはずなのに、分断を煽る単語はよくない」、という意図がおそらくあったことで、こうしたタイトルになっている(であろう)ことについては書き添えておく必要があるだろう(スタンフォード大学、とわざわざつけてるのはマーケティングの側面もあるだろうが…)。
他人の物語を知り、自分とそして思いやりを知る。
改めて読んで「ええわ~。」と思ったのは、やはり第4章の「「物語」を摂取する」だ。
人は物語(Fiction)を通して、無数の人生を体験させることができる。他者との接触が、分断を埋めるギャップになるのであれば、そうしたFictionを消費することも共感を鍛える力になるはずだ (この研究分野で間違いなく先端を走っているのはYork大学のRaymond marである)。こうした主張を支持する証拠として、演劇、文学作品を用いて実証している研究を紹介している。幼い頃から人生において大切なことをゲームやマンガといったフィクションで学んできた自分としては実に腹落ちする内容である。(僕の知り合いからすれば「おまえがそうならエビデンスレベルはむしろ低いのでは?」と言われる可能性はある)
この章を読みながら感じたのは人文学の可能性だ。
最近、遅ればせながらSpotifyでCOTEN Radioを聴くようになった。めちゃくちゃかいつまんでいえば、歴史上の偉人について株式会社COTENの深井さんとヤンヤンさんから説明を受け、聞き上手の樋口さんがイイ感じの質問をしたりリアクションをするラジオだ。
このラジオでは、それがコンテンツなんだから当然なんだが、歴史の偉人について詳細に語られる。教科書的な「なにをなしたか」だけではなく、当時の価値観はどういったものか、家族に対してはどういう人間だったのか、どういう側面を持っていたのか、なにに悩みそれに対して周りはどうふるまったのか、といった歴史上の出来事だけではなく、その時代背景や当時の慣習までひっくるめて「人」が深く堀り下げられて語られていく。
その語りを経て、歴史上の偉人が「自分と変わらない不完全さを併せ持つ人間であること」について向き合い、それを通して自分の人生について考えさせられる。Fictionではないものの (場合によってはそういうのもあるかもしれんが)、これもまた語りを通して歴史上の人と接触することで、無数の人生を体験させることができるコンテンツなのだと思う。その先に、COTENのCEOである深井さんが度々口にする「特定の価値観に距離を置いて他者と調和するメタ認知」があるのだろうと推察できる。
本書4章を読み直すことで、知的好奇心を満たす以上の期待を、具体的には共感を鍛えるコンテンツなのかもしれないという可能性をCOTEN Radioに感じた。
人文学の可能性を開くこうした研究分野をもっと活性化させるためにできることを、心理学の観点からコツコツとやっていけたらいいな、とそう思った次第です。
余談ですが、公益社団法人日本心理学会も「読書の心理学」という題で、読書の効用についてわかりやすい講座を行っています。専門家が発信するこうした取り組みは素晴らしいですね。さすが公益社団法人。